「歩きスマホくらい大目に見てよ?」人を簡単にジャッジしないために

フェイスブックでシェアされた「私がしていること、あなたが見た部分」を見て考え込んでしまった。
上半分の「私がしていること」の部分に全く異論はない。
中央からすこし右上よりのトイレの状況は、男性として主夫をしていた僕にも全く同じことがあった。

考え込んでしまったのは下半分の「あなたが見た部分」だ。
歩きスマホをしながらベビーカーを押している光景。
これをどう捉えるか。

フラットに見れば、
「歩きスマホをしながらベビーカーを押している私は他にもたくさんのことをしている」
ということになる。

でも少しうがった見方をされれば、
「これだけ子育てを頑張っているんだから、歩きスマホくらい大目に見てよ」
と受け取られないだろうか。

実際、こう捉えたコメントを見たので、僕は考え込んでしまったのだ。
「それでも歩きスマホはだめでしょ」と。
下半分の歩きスマホベビーカーが、どんなイラストなら良かったのか。

たとえば歩いていなければ問題はずいぶん少ないと思う。
ベビーカーの横でベンチに座ってスマホを見ているのであれば。
でも、もしそうだったら、このイラストの力やメッセージ性はものすごく弱い。

子育てを頑張っているママが、歩きスマホベビーカーという「ちょっと非常識」なことをしているから、このイラストは力を持っている。
子育て頑張っていたら、こんなことも時にはしてしまい、それをあなたに見られることもある。
以上。

そこに「それでも歩きスマホはだめでしょ」というジャッジを加えるのは無粋な気がする。
映画の中でも人殺しはダメでしょみたいな。
そう、これはイラストなのであって、現実のひとりのママが「歩きスマホくらい大目に見てよ」と言ってるわけではない。

僕はこのイラストから強いメッセージを受け取った。
それはこのイラストに描かれているひとりのママのことじゃなくて、全ての人に当てはまること。
人の行動のごく一部を見ただけで、わかったつもりになってはいけない。