ザラザラとゴツゴツ、生活から失われた感触

お盆に会った父の手には、血管が浮き出ていた。ザラザラゴツゴツとしたその手の甲は、祖父の手の甲にそっくりだった。
10年前に102歳で亡くなった祖父。無口だった祖父の手の甲。そのザラザラゴツゴツの感触ははっきりと覚えている。
僕は祖父の手の甲が大好きだった。

世の中がツルツルになっていると感じる。
アンチエイジングでツルツルの肌を目指すのはいいけれど、そればっかりでは味気ない。
ザラザラ、ゴツゴツ、デコボコといった感触も必要だ。

感触が貧困になるのは、自分の世代からはじまったのではないか。
小学2年生の時に初代ファミコンがでた。画面からは派手な映像と派手な音響がでている。
でも自分が手元でしているのは、ボタンのオンオフだ。

それはそれで面白いし、難しくって工夫の余地のあるものだ。
ファミコン的な遊びを全面否定するものではない。だってそれで育ったんだし。
でも、映像と音でごまかされて感触は貧困な遊びだ。

そして現代、スマホやタブレットでするゲームはさらに感触が貧困だ。
画面からは初代ファミコンからはるかに進化した複雑な映像と豊かな音響がでている。
だけどやっていることは、ガラス面をなぞること。

ツルツルのガラス面をなぞる。それが最新の遊びの感触だ。
スマホゲームは楽しい。否定しない。だけど感触は貧困であることは意識しておきたい。
ツルツルの面をなぞる遊び。

以前、娘に目をつぶってと言われて、目をつぶった。
娘は僕の人差し指で、タブレットのゲームを操作しはじめた。
どうして娘が目をつぶった僕の指でタブレットゲームをしたかったのかはわからない。

娘が僕の指を操作し始めてすぐ、僕はゾッとして鳥肌がたった。
ものすごく不気味な感覚。僕の指の感触はひたすらガラスをなぞっているだけ。
ツルツルの感触しかない。なのに、ガラスの向こうではいろんなことが起きているらしいのだ。

お盆に娘が父の横に座って、手の甲のザラザラや飛び出した血管を触っていた光景にほっこりした。
僕も祖父や父のように、ザラザラゴツゴツの手の甲になりたい。
そして自分の手の甲を、これからの子どもたちに触らせてやりたい。