朝、小学校の校門に立っている。
900人の児童と挨拶をしていると毎朝いろんなことが起きる。
今朝、一年生の女の子に抱きつかれた。
その子は抱きついたまま僕が首から下げていた札を音読した。
「〇〇しょうっがっこうぴーてぃーえーわだ」
「漢字も英語も全部読めるんや!」と感心した。
その子の返事は、
「いえでもすごいっていわれるねん」
と自慢げだった。
僕はその子を「すごい」とは言っていない。
なのにどうして「いえで『も』すごいっていわれるねん」という返事になるのか。
「読めてすごい!」じゃなくて「読めるんや」。
僕は目の前で起きたことをそのまま伝えただけ。
ただし、読めることにびっくりした(!)という自分の感情は込める。
そうすると子どもはすごいって言われてなくても認められた気になる。
基本的に「すごい」ことでも「ダメ」なことでもそれをジャッジする必要はない。
「〇〇したね、できたね」「〇〇しなかったね、できなかったね」
起きたことをそのまま伝えるだけでいい。子どもはそこから判断できる。
でもその子の自信は僕の言葉の前に、親がその子を褒めていたから成立した。
子どものしゃべりたいこと、伝えたいことをできるだけジャッジせずに聞きたい。
親じゃないからこそできる関わりかもしれない。