重い布団、軽い布団

週末、家族でショッピングモールに行った。

年度末のショッピングモールの子ども用品売り場で一際目立っていたのは『布団』だった。

それは保育園やこども園のお昼寝用の子ども布団セット。

 

長女と次女、合わせて10年間保育園に通った。

その思い出は常に週末週初めの布団運搬とセットだ。

妻と2人で懐かしんだ。

 

「そういえばウチは布団買うてへんな。〇〇ちゃん(姪)のもろたし」

「買うたで。T(次女)の分。K(長女)と2年保育園重なったやん」

そうか、そういえば買った。マリーちゃんのピンクの可愛い布団。

 

姪からもらったものと比べてものすごく軽くてびっくりしたのを思い出した。

時代が進むにつれて布団は軽くなっていた。

今の布団はもっと軽いんだろうか。

寝かしつけの秘密

思春期長女との関係について話す時、鉄板のネタがある。

「僕の抱っこじゃないと寝なかったのに」

思春期長女は現在、パパとほとんど口をきかない。

だけど生後6ヶ月から11ヶ月の間、専業主夫だったパパとほとんどの時間を過ごした。

その期間、長女はパパの抱っこじゃないと寝付かなかったのだ。

 

赤ちゃんの寝かしつけができないというパパの悩みをしばしば聞く。

それは単純に接触時間の長短だ。

パパよりもママと過ごす時間の方が長く、ママに寝かしつけてもらう機会の方が多いから。

 

妻は長女の生後すぐから、夜の授乳が終わったら僕に赤ちゃんをはいと渡してくれた。

夜泣きした時も授乳だけしてから僕を起こして、赤ちゃんをはいと渡してくれた。

おかげて僕は寝かしつけができるようになったのだ。

そして僕が専業主夫の間は、長女は僕の決まった手の位置の決まった角度での抱っこで安心して眠った。

 

それでも12ヶ月から保育園に入ったら、数日で保育園でもお昼寝ができるようになったし、夜もパパでもママでも眠るようになった。

子どもは柔軟。ワンオペでもシングルでも、子どもを人に託そう。

パパかママ、どちらかでしか眠れない子どもよりも、パパでもママでも保育士さんでも寝られる子どもの方が幸福だ。

あぜ道のパパスイッチ

エコーの次のパパスイッチは、妻が産休に入ってからのこと。

身体がなまるということで、2人で散歩をした。

当時住んでいたところは山裾。周りには田んぼがたくさんあった。

9月の田んぼの青々とした稲稲の中、2人であぜ道を歩いた。

隣を歩く妻の大きなお腹を見ながら、責任感を強くしたすごくいい想い出。

10年後、家族でその想い出を話していたとき、妻は言った。

「あれ、しんどくて嫌やってん」

え?一緒に歩こて言うたやんか。

「ちゃう。あんたが無理に誘ってんで。私、身体がしんどくて嫌やったのに」

記憶の相違。

げに難しきは夫婦のコミュニケーション。

最初のパパスイッチはクリリンだった

パパスイッチが入った瞬間というインタビューを受けた。

子育てをしている間にはいくつもの瞬間があって、一つには絞れない。

だけれど最初のパパスイッチが入った瞬間はっきりと覚えている。

妻と一緒に何度目かの受診に行ったときに見たエコー写真だ。

 

その写真には小さく小さく赤ちゃんが写っていた。

丸い頭とゼリービーンズのような身体。

ちょうど初期のクリリンの頭のテカりの形をした可愛らしい赤ちゃん。

それが和田パパの最初のスイッチだった。

つづく

立会い(?)出産の想い出

パパの立会い出産はこの15年で急激に増えたと感じる。立会い出産を経験したパパ友は多くて、その想い出を聞く機会はよくある。
それは武勇伝であったり、逆に醜態であったりするのだけど、その口調はうらやましい。なぜなら僕には立会い出産の想い出はなく、立会いできなかった想い出があるからだ。

折良く一緒に病院に行けるタイミングにで妻に陣痛が来た。出産に立ち会える!と喜び勇んで駆け込んだ病院、しかし待てども待てども出産は進行しない。
そのうちに妻の血圧が200を超えてしまい、これ以上頑張るのは危険になった。その瞬間、妻は大勢の看護師と医者に囲まれて、うわーっと手術室に連れて行かれた。

ボツンと取り残された僕。数時間後、待合室で座っていた僕は看護師に抱かれた長女と初対面した。
「小さい!」
新米パパがはじめての赤ちゃんを見た一言目。立会いできなかった想い出。だけどはっきりと覚えている想い出だ。

一人目が帝王切開だと、二人目も自然分娩はリスクが高いらしい。次女は最初から帝王切開を選択した。
4歳違いでうまれた妹を見た長女の一言目も
「ちっちゃ!」
だった。