大人は三輪車の後輪になる

子どもは三輪車の前輪。自分か行きたい方向に進む。
ただ、後輪は2つ以上ないと幼児はコケてしまう。
後輪はパパとママでもいいし、親と祖父母、親と保育士でもいい。
もっといえば、そのほか多数の大人でもいい。
子どもの向かう方向を見守りながら、コケないように支えてやりたい。
あくまでも前輪の向き、向かう方向は子どもの自由だ。
大人は子どもの後ろについていても前方を見渡すことが出来る。
子どもがよっぽど危険な方向に向かいそうになったときだけ、ちょっとアドバイスすればいい。
三輪車の前輪になって、自分の向かう向きを決める経験をしないと、子どもはいつまでたっても大人になれない。
アドバイスを聞いて方向を変えるのも、アドバイスを聞かずに段差に突入してコケるのも子どもの経験値を上げる。
そうして三輪車を漕いでいるうちに、三輪車が自転車になってもっと速く走れるようになる。
友人と自転車を並べて走るようになり、そのうちに仕事仲間や将来の配偶者と走るようになるかもしれない。
子育ての成功とは

もし、自分の親が「子育てに成功した」と誇りに思っていたら。
それは嬉しい。だけどちょっとムカつく。
だって、そんな理想的で立派な子育てなんてされていないもの。
結構ひどいことも言われたし、理不尽にしかられたこともあったし。
逆に深刻な問題をかかえている僕にまったく気づかず無関心だったこともあった。
嬉しいけどムカつく。
もし、自分の親が「子育てに失敗した」と後悔していたら。
それはめっちゃくちゃ嫌だ。
そもそも何を持って成功だとか失敗だとかいうのか。
子育てを成功だとか失敗だとかいうのを僕は好まない。
子育てを成功だとか失敗だとか、自分が言われたらムカつくし嫌だからだ。
でも何か指標がなくては子育てはしにくい。
子育ての指標、目標を僕はひとつだけ定義している。
それは「親から自立すること」。
親がいなくても生きられる大人になること。これだけ。
僕は今、親がいなくても生きていけるようになった。
だから僕の両親は子育てを「成功」だと思っていいよ。
成功だの失敗だのは子が大人になってから親を評価するもんだ。その逆はない。
スマホ画面のフリックでは得られないもの

子どもの成長には触感が欠かせない。
もっと生々しく言うと肌触り。
ちょっと大人っぽく言うと手触りだ。
肌触り、手触りの豊かさが現代の社会から減っている。
主な娯楽がスマホになった。
スマホでいろいろなことが出来るような気がしているけど、実際に感じる肌触り手触りは、ガラス面をなぞることだけ。
視覚と聴覚でごまかされているけれど、ものすごく感覚を鈍くする遊びだ。
ためしに、目をつぶってスマホのガラス面をフリックしてみるといい。
何も感じない。ものすごく気持ち悪い。
子どもの遊びには意識的に肌触り手触りを取り入れたい。
室内なら紙をびりびり、積み木をコツコツ、布をくちゃくちゃ。
屋外なら砂や石や歯や虫や水や。
今の大人はスマホがなかったので、いろいろなものの触感を感じながら成長してきた。
油断をしていると現代の子どもはガラス面の手触りが世界の手触りと誤解して育つかもしれない。
子どもは環境の中で勝手に育つけど、その経験は環境の豊かさに左右される。
特別なものじゃなくていい。。
だけどちょっと意識して、いろんなものに触れさせてやりたい。
肌で感じた豊かな触感から、世界が広がる。
