赤ちゃんは真ん中にいる

久々に赤ちゃんをお預かりしてる。
赤ちゃんの姉、小六次女の同級生といっしょに保育園にお迎えに行った。
お迎えから帰ったら、赤ちゃんの姉と次女は習い事へ。

赤ちゃんと2人になった。
さてと、この間にnoteを書いて晩御飯の支度でも…
と思っていた自分に驚いた。

できるわけないやん!
歩き始め、いちばん無秩序なうえにそこそこ素早く動き回る1歳児。
晩御飯の支度はもちろん、PCを開くこともできるわけがない。

自慢じゃないけど、ウソ、自慢だけど僕は主夫。
長女が1歳の頃には赤ちゃんと2人で24時間過ごしていた時期もあった。
1歳児の子育てが大変なことは身に染みているはず。

でも忘れるのだ。育児をしていた僕でも忘れる。
いわんや育児をしたことがない人をやだ。
赤ちゃんの子育ての大変さ、そこへの想像力やいたわり。

全くないとは言わないけれど、極めて薄いのが日本社会。
出生数が90万人を切るわけだ。
帰ってきた高一の長女に赤ちゃんを託して、15分でお好み焼きの用意をした。

高一ひとりと小六ふたりの3人がかりで赤ちゃんを見ながら、どうにかお好み焼きを焼いている。
僕はそれを尻目に10分でこのnoteを書いている。
書き終わったら僕もお好み焼きを食べて、赤ちゃんを風呂に入れる。

赤ちゃんとお姉ちゃんは今晩泊まる。
宝物の子どもをおあずかりできること。
嬉しいな。

【ブログ】校門前のアライグマ〜その女の子はどうして僕に声をかけたのか〜

楽しいことがあった、昨日の夕方。
食材を買いにスーパーに出かけたのが17時過ぎ。
すでに暗くなっていた。

スーパーへは小学校の前を通って歩いていく。
小学校の西門前にさしかかったとき、声をかけられた。相手は3年生くらいの女の子。
たぶん地元小学校の子だけれど、名前は知らない。

「あの…」
ためらいがちな女の子。
「どした?」

「あの…あそこにタヌキがいる」
道路の向かい側の木の上を指差した。
ほんまに?

僕は道路を横断して、その木の下まで行った。
マンションの庭に植わっている木。
そこにいた!体長1メートルの大きい動物。

画像1

尻尾がシマシマ。どうやらアライグマだ。
近づいても全然逃げない。
道路を渡って戻って、女の子に写真を見せた。

「きれいにとれたな!」
と褒められた。
それから女の子は怒涛のように話し始めた。

習い事のバス待っててん。そしたらそこ(門の前)にタヌキが座っててびっくりしてん!ほんでタヌキが道わたってあっちいってん。道渡るの車とおってたからあぶない!って思ってん。でもわたれてよかってな、ほんで木の上にのぼってん。見てたらわださんやったっけ?が通ったから教えてん!

僕の前に何人も大人は通ったけど、声はかけられなかったそうで。
わだ(?)さん、って名前も自信なさそうによんでくれた。
僕に声をかけてくれたのはたぶん、毎朝校門に立ってるおっちゃんやからだろう。

こうもんパパやっててよかた。教えてくれてありがとう。
3分後、習い事のバスに乗る女の子を見送りました。
それから市役所と学校に連絡。

今朝も校門前に行きます。
女の子と昨夜の冒険を話すのが楽しみ!

パパ講座に見る人類の進化とは

「ママ同士は講座が始まる前からしゃべってはるけど、パパ同士はシーンとしてる」
「なんとかしてパパ達のつながりを作りたい」
「5回連続講座にしたら、なんとか最終回くらいにはグループが作れるかもしれない」

10年前、パパの子育て支援をはじめたときに、行政の担当者と話していた内容です。
10年間で各地のパパ講座は増えて、あちこちの行政でたくさんの取り組みがされてきました。
中には本当に3回、5回、8回の連続講座を実施された行政もあります。

でも、行政や主催側からの誘導では、なかなかパパ達のつながりはできにくい。
その場ではできても、それが継続するかどうかは別問題でした。
ところがです、その思い込みや概念を覆す出来事を宝塚市で目撃しました。

それは宝塚市が企画してくださった、パパ講座。
120分の一回講座で60分の座学、30分の遊び講座、30分のパパ座談会で構成しました。
参加資格はパパだけ。ママも子どももNGの純粋なパパ講座です。

一般応募なので、宝塚市の各地からパパたちが集われます。当日の参加者は6人でした。
会場に早めに着かれたパパ2人。隣同士に座って談笑されていました。
僕はてっきり2人はお知り合いだと思っていました。

最初からあまりにも和やかに談笑されていましたし、知り合いで参加されることはこれまでのパパ講座にもありましたし。
ところが、2人は初対面だったのです。後で聞いで驚きました。
そして120分の講座が終わった時、僕は目撃しました。

最初の2人をパ含めたパパ3人、講座参加者の半数が名刺交換をされていたのです!
「またよろしくお願いします」「また遊びましょう」
10年前から行政のご担当と話していた上の課題はなんやったんでしょう。

もはやパパたちに「つながりをつくりましょう」「グループになりましょう」なんて言う必要はないのかもしれない。
むしろ主催側がつながりづくりのためにあれこれ段取ることは逆効果なのかもしれない。
主催側の作為は邪魔なのかもしれない。

つながりを必要と感じているパパは主体的に繋がる。
運営側はただ集まる機会を作るだけ、それでいいのかもしれない。
子育て16年目の老パパよりも、子育て1年目の若パパの方が進化している。

と、老パパは確信しました。これは生物史、人類史的にも正しいことです。
必要なことは、後に生まれた方が進化していることを、先人が認めるかどうか。
これは子育ても一緒です。親より子の方が常に進化しているのです。

【ブログ】男だからって嫁姑問題を解決しなくていい

※この文章はフィクションであり、実在の人物とは一切関係がありません。

もうええか。彼はひそかに肩の荷を下ろした。
彼の妻と母とは結婚から15年間ずっと折り合いが悪い。
彼は10年間、その関係は自分の責任だと思っていた。

彼自身が思っていただけじゃない。
妻も母も、夫(息子)である彼にその解決を求めて来た。
嫁と姑の間に入るよう、最初は言葉で近年は態度で求められた。

彼自身がその役をうまくやれたとは思っていない。
折り合いが悪いのは自分の言動が影響していることも承知している。
でも、今はもういいのだ。

2人の大人の人間関係である。そこに第三者をはさむからややこしくなるのだ。
彼は夫(息子)の責任だと思って2人の間に入ってきた。
この責任には彼が男であるということが無意識のうちに影響している。彼自身にも妻にも母にも。

仮に、夫舅問題があるとする。
その解決を妻(娘)に求める?そんなケースはとても少ないはずだ。
男だから嫁姑問題を自分の責任で解決しないといけないと思い込んでいた彼自身。

だけれども嫁姑だろうが、夫舅だろうが、大の大人同士の人間関係だ。
たとえどんなに気まずくっても、本来は当事者の2人で交渉すべき問題。
それに気づいた彼は5年前、妻にも母にも言わずにそっと肩の荷をおろした。

男の責任と思い込んでいたところから、ひとつ自由になった。
え?彼が肩の荷を下ろしたことで、何か悪影響がなかったかって?
彼の妻も母も、なんにも気づいてないそうです。

※この文章はフィクションであり、実在の人物とは一切関係がありません。
※ということにしておいてください。

次女の子育て12年。そしてあと6年

次女の名前は椿といいます。
12年前の今日11月27日に、1796グラムで誕生しました。
生まれたての次女を見た当時4歳の長女の第一声な「ちっちゃ!」でした。

それはパパママの感想も代弁していました。
次女はそれからしばらくNICUに入院することになりました。
妻は母乳をやりに病院に通い、僕も昼休みに職場を抜け出しては抱っこをしに通いました。

当時の僕の職場が、病院のすぐ隣の施設だったのです!
抱っこしながら次女の手足をナデナデしました。
その体温が低いように感じて、不安になることもありました。

でも次女は順調に体重を増やして、三週間後に退院して家に来ることができました。
椿の愛称は、最初は「つばちゃん」でした。
でもあるとき夫婦で「つば」ってどうなん?ってことになり、別の愛称で呼ぶことにしました。

その相性は「バッキー」。
当時から大人気だった「ガッキーと、当時好感度抜群だった「ベッキー」にあやかりました。
「ガッキー、ベッキー、バッキーってめっちゃ可愛いやん!」夫婦で悦に入っていました。

まさかそのあと、ベッキーがあんなことになろうとは。
小さく生まれたバッキーは、保育園でも小学校でもクラスでいちばん小さい女子でした。
バッキーはそれを気にしていませんでした。

それどころか、
「わたし、ちいさいからかわいいねん」
と自己肯定感をあげる始末。

そんなバッキー、ちょうど一年前11歳になった頃から、ぐんぐんと背が伸びはじめました。
今ではクラスの真ん中くらい。
現在の目標は卒業までにバク転ができるようになること。

彼女の世代の成人年齢は18歳。
あと6年!これまでに過ごした時間のあと半分!!
もうしばらくパパに子育て、楽しませてね。