趣味を子育てに活かす時

ガンダムのプラモデルをよく作っていた。

次女が生まれた時、プラモデルを撤収することにした。

家が手狭になってプラモデルを飾っていた物置部屋のコーナーを維持できなくなったのだ。

数えたら113体のモビルスーツがあった。

そのまま捨てるのは忍びない。

 

折良く、僕はその年に長女の保育園の保護者会会長をしていた。

保護者会主催のバザーに100体のガンプラを出品してみた。

完成品で売っているフィギュアではない。素人が組み立てたプラモデルだ。

今メルカリに出したって売れないだろうという程度のもの。

バザーで売れなかったら潔く捨てようと諦めていた。

 

しかし、それは飛ぶように売れた。

50円という値段と、保育園バザーという会場のマジックだ。

バザーの売り上げに5000円の上乗せをすることができた。

 

長女が小学生になってから、保育園が同じだった友達の家に伺う機会があった。

長女の同級生の机には、僕の作ったズゴックが飾ってあった。

親の趣味、何がどう役に立つかはわからない。

冬は奪い合い、夏は押し付け合う

冬はヌクヌクを求めて夫婦で奪い合う。

夏は暑さを避けて押し付け合う。

ベッドの中の我が子のこと。

 

こんなことができるのはほんの数年。

そのうち抱っこさせてくれなくなり、

そのうちベッドも別になる。

 

我が家の場合、長女次女合わせて10年弱だった。

わずらわしい夜もあったけど、

子どもがさせてくれる限り、川の字で寝てよかったと今思う。

子どもへの声かけを我慢するとき

「なに作ってんの?」「なに書いてんの?」「何してんの?」
子どもにかけがちな言葉だ。

子どもが積み木を並べたり、ブロックを組んだり、紙に描いたりしているとき、
または紙くずや石ころやなんだかわからないものをいじっているとき、僕は声をかけたい欲求をぐっと飲み込んで待つ。

ちょっと離れて見守ったり、横に並んで同じ作業をやってみたりする。
子どもの中で一段落して、ふと子どもが顔をあげたり、こっちの顔をみてくれたときに声をかける。
「それはなに?」
とは聞かない。

「それつくったんやね」「それかいたんやね」「なんかしてたね」
と、子どもが何かをやっていたということを「見てたよ」という意味の言葉をかける。
子どもが説明したければしてくれるし、スルーでも全然かまわない。
子ども自身が没頭していたことだけが大事。

子どもの没頭を邪魔しない。
これも子育て。

ビーズコースターに飽きたら

幼児の鉄板おもちゃのひとつ、ビーズコースター。
ハマる子はいじり始めたらずっといじっている。
僕の娘たちも、子育てセンターやショッピングモールのキッズコーナーに行くたびに、ビーズコースターをいじり倒していた。
でもそのうち子どもが器用になって、ビーズを動かすのが簡単になると飽きてくる。

そんな時、ビーズコースターをおもちゃとして延命させる方法がある。
それはスプーンを使うこと。おもちゃでも本物でも構わない。
手でつまむのではなくて、スプーンの先でビーズを動かしてみる。大人でもちょっと難しい。
子どもにとってはなおさら。チャレンジのし甲斐がある。

道具を使うことで、あっちからすくってこっちで押してと工夫の余地が生まれ、手先指先の感覚も発達します。
親にとってうれしいのは一つのおもちゃを長く使えること。
ほんの一道具を加えるだけで、おもちゃの可能性が広がることがある。

夫婦間の言った言ってない問題

「晩御飯たのむで」「え、今夜は僕も遅なるし」「前から言うてたやん!」「聞いてへん!!」

夫婦間での言った言ってないってよくあります。
出来るだけカレンダーに書き込んだり、LINEで送って文章で残したりするんですけど、それでも起きることはある。

仕事だとめったに起こらない伝達ミスが、どうして家庭では頻発するのか。
それは夫婦の会話は多くの場合生活の中でしているからじゃないかと。
生活の中で伝達する場合、片方がテレビを見ていたり、料理中だったり、子どもの相手をしていたりして集中していない場面が多い。

そして会話や伝達事項が多いほど、ミスも増えるもの。
伝達ミスが多いのは、夫婦のコミュニケーションが活発な証拠だと、まずは前向きにとらえていいのかも。
冒頭の会話は今朝の妻と僕。