「目にもとまらぬ早業」で遊ぶ

三浦大和さんがダンスのアドバイスとしておっしゃっていました。
「ゆっくりとした動きの中に素早い動きを混ぜる。すると素早い動きがとてつもなく速い動きに見える。するとダンス全体がキレッキレになる」

「その手品師は、目にもとまらぬ早わざで、お札とコインを入れ替えました」
昔読んだ児童書に書いてあったマジックの描写です。
目にも留まらぬ早業って何?
マジシャンの「目にもとまらぬ早業」は実在する、と僕は考えています。ダンスのキレと同じ意味で。

観客の前で目にもとまらぬ早業で物を入れ替える。と書くと凄いテクニックのように読めます。
実際のマジックにおける目にもとまらぬ早業のひとつは、大きな動きの中に小さな動きをまぎれこませることです。

たとえば大きく腕を振っている最中に指を曲げ伸ばししても、誰も気づきません。
大きな腕の動きに紛れて、小さな指の動きは目にとまらないのです。
その結果、指の動きが目にもとまらぬ早業になる。

そをれうまく使うと魔法になる。
大きな動きの中に小さな動きを紛れ込ませるのはほんの一例です。でもこの方法だけでも無限に応用が利きます。
この奥深さがマジックの魅力です。

マジックやダンスにしなくても普段の遊びの中で、大きな動きと小さな動き、ゆっくりした動きと素早い動きを意識する。
すると、同じ遊びが何倍も面白くなります。

(腕と指のマジックは、親子のふしぎあそび・子どもが喜ぶ3つの魔法でお伝えしています)

子どもの「もう一回」と大人の「もう一回」は違う

マジックをしていると必ずかけてもらう言葉があります。

「もう一回やって」

老若男女問わず、必ず言ってくださいます。

 

幼児の「もういっかいやって」は純粋です。

ただもう一回、同じ不思議を体験したいだけ。

だからタネがバレない程度にリクエストに応じます。

 

でも年長から小学生になると、油断できません。

「もう一回やって」に別の動機が加わります。

それはなぜそうなったのかを知りたい、という好奇心です。

 

だからリクエストには応じません。

不思議は不思議のまま楽しんで欲しいから。

さらに欲を言えばタネを自分で見つけて、マジシャンになって欲しいからです。

 

大人のもう一回やっても好奇心ですが、そこにさらに敵意が入ることが多い。

「見破ってやる」「お前に負けるもんか」これは特に男性に多い。

勝負はマジックの目的ではないので、できるだけそれを伝えるような雰囲気で終わります。

 

だからほとんどのマジシャンは「いい人」です。

マジシャンが一番機を配るのは、マジックを見せる場が楽しい雰囲気であること。

これが手先の技術よりも何よりも一番難しい。

挨拶が苦手な子のヒミツ

挨拶の苦手な子がいる。

当たり前。挨拶の苦手な大人もいるのだから。

ほとんどの大人はたとえ挨拶が苦手でも挨拶はする。

でも挨拶が苦手な子どもは挨拶をしない。

 

これには挨拶ができない場合と、挨拶しないことを選択している場合のふた通りがある。

それでも、ほとんどの大人が挨拶をしていることを考えたら、子どものうちに挨拶できない、しないことなんてほとんど心配しなくていい。

大人になったらするんだから。

 

その子が大人になるまで挨拶できる大人側から挨拶し続ける、簡単なお仕事。

それでも早く挨拶できる子にしたい時、大人は「挨拶しなさい」という言葉をかけがちだ。

でもその言葉で子どもが挨拶するようにならない。

その場ではするかもしれないけれど、それだけだ。

 

「挨拶はしたほうがいいと(私は)思うよ」

「挨拶したほうが得やで」

そう声をかけて、挨拶で得をしている大人自身の姿を見せる。

それしかないんじゃないかなぁと思ってる。

家族の夕食カウントダウン

3/3は結婚式記念日(入籍日はまた別)。結婚17年に突入です。

ひな祭りディナーの買い出しに夫婦でスーパーに行きました。

娘たちはそれぞれ用事があってついてきませんでした。

 

結婚当初からよくスーパーに2人で行ってました。

最初の頃は呼吸が合わなくって、売り場でまごまごしたり、レジでおたおたしたり、袋詰めで争ったりしました。

17年もやっているとツーカーです。

 

大体お互いが回りたいコースも把握しているし、レジから袋詰めの流れは流れるように役割分担。

争いがない代わりに、ほぼ無言になってしまうという弊害もあったりします。

それでも車に積み込んだら、長女の受験のことをぼそぼそと喋りながら帰宅しました。

 

ひな祭りディナーは手巻きすし。

17年をささやかに振り返りながら、まだ家族4人で食事ができる状況をありがたく感じました。

だって来年はFJK(ファースト女子高生)の長女。

いつまで一緒に夕食できるのか、カウントダウンを実感しているから。

新年度だいじょうぶ

子育ての目的のひとつは子どもを自立させることだと考えている。

自立とはなんでも自分一人でできるということではない。

自立とは、親から離れても生きていけるようになることだ。

 

初めて保育園に預けるとき、初めて幼稚園バスに載せるとき、初めて一人で登校するとき。

年度がわりに新しいステップに挑む子どもを見守るのには不安が伴う。

しかし、保育園や幼稚園・小学校で、親から徐々に離れていく子どもは、順調に成長しているのだ。

 

だから大丈夫。