絵本の読み聞かせは6年生でも楽しめる!

初めてもう10年にもなるのか。
小学校での絵本読み聞かせボランティアのこと。
今、高一の長女が小一のときに始めたから、ちょうど10年目だ。

今日は小六次女のクラスで読み聞かせをしてきた。
小六で絵本の読み聞かせ?聞いてくれるの?
それがですね、いつもとても楽しみにしてくれているのだ。

もっといえば大人向けの絵本読み聞かせも、聞いてみたら面白い。
幼児向けの絵本読み聞かせで、子どもよりも熱心に聞いている親もいる。
僕は高齢者施設で読み聞かせをしたこともある。とても楽しんでくださった。

絵本読み聞かせは幼児や低学年よりも、絵本と親しむ機会の減った高学年や大人にとってこそ貴重な機会だ。
低学年や幼児よりも経験を積んだ分、絵本を深く楽しめるようになっている。
その上チョイスできる絵本の幅も増えている。ちょっと難解、ちょっとハード、ちょっと社会派の絵本も読めてしまう。

今日6年1組で読んだ絵本は『ランドセルは海を越えて』。
日本からアフガニスタンにランドセルを送る運動がある。
ランドセルを受け取った子どもたちを生き生きと描写する写真絵本だ。

こんなに長く長く楽しめる絵本の読み聞かせ。
なのにこの10年、地元小学校の読み聞かせでレギュラーの男性は僕だけだ。
こんなに楽しくて高学年とも関わる機会、パパも参加しなきゃもったいないよ。

プリキュアショーからフェスへ〜子育ては「今」しかできないことの連続だ〜

秋晴れの日曜日、午前は滋賀県で子育て講座。
遊びの中で乳幼児と関われるのはとっても楽しい。
大きくなった我が子とはもうできない遊びをたくさんしました。

同時に、今乳幼児を育てている親をちょっと羨ましくも思います。
子育て講座が終わって大阪に帰り、夕方は長女次女と合流しました。
合流した場所は万博記念公園。大阪パフェというお笑いフェスです。

久々に父子3人でステージを楽しみました。
思い出したのは8年前、同じく父子3人で行った生駒山上遊園でのプリキュアショー。
その時もステージを楽しむ姉妹を背中から眺めていました。

プリキュアショーもお笑いフェスもその時しかできない楽しみ。
乳幼児期の遊びも、小学生とのお出かけも、思春期のフェスも「今」にしかできないこと。
子どもはどんどん成長して、その瞬間はどんどん過ぎ去っていくのです。

「歩きスマホくらい大目に見てよ?」人を簡単にジャッジしないために

フェイスブックでシェアされた「私がしていること、あなたが見た部分」を見て考え込んでしまった。
上半分の「私がしていること」の部分に全く異論はない。
中央からすこし右上よりのトイレの状況は、男性として主夫をしていた僕にも全く同じことがあった。

考え込んでしまったのは下半分の「あなたが見た部分」だ。
歩きスマホをしながらベビーカーを押している光景。
これをどう捉えるか。

フラットに見れば、
「歩きスマホをしながらベビーカーを押している私は他にもたくさんのことをしている」
ということになる。

でも少しうがった見方をされれば、
「これだけ子育てを頑張っているんだから、歩きスマホくらい大目に見てよ」
と受け取られないだろうか。

実際、こう捉えたコメントを見たので、僕は考え込んでしまったのだ。
「それでも歩きスマホはだめでしょ」と。
下半分の歩きスマホベビーカーが、どんなイラストなら良かったのか。

たとえば歩いていなければ問題はずいぶん少ないと思う。
ベビーカーの横でベンチに座ってスマホを見ているのであれば。
でも、もしそうだったら、このイラストの力やメッセージ性はものすごく弱い。

子育てを頑張っているママが、歩きスマホベビーカーという「ちょっと非常識」なことをしているから、このイラストは力を持っている。
子育て頑張っていたら、こんなことも時にはしてしまい、それをあなたに見られることもある。
以上。

そこに「それでも歩きスマホはだめでしょ」というジャッジを加えるのは無粋な気がする。
映画の中でも人殺しはダメでしょみたいな。
そう、これはイラストなのであって、現実のひとりのママが「歩きスマホくらい大目に見てよ」と言ってるわけではない。

僕はこのイラストから強いメッセージを受け取った。
それはこのイラストに描かれているひとりのママのことじゃなくて、全ての人に当てはまること。
人の行動のごく一部を見ただけで、わかったつもりになってはいけない。

 

 

 

子どもと長く関わるための読み聞かせ〜絵本からラノベへ〜

「あのな、キューバットの世界にはな…」
小六次女が読んでいるラノベの内容を熱烈に説明してくれた。そして「パパも読んで!」
まさか、娘から読書を勧められるとは思わなかった。

長女次女を通して10年間、ほぼ毎晩絵本の読み聞かせをしていた。
まずは長女がパパの読み聞かせを卒業し、そして次女も卒業して5年経つ。
次女の卒業にはとてもわかりやすい経過がある。ある一冊の絵本を通した経過だ。

次女がハマった絵本『100かいだてのいえ』シリーズ。
男の子が100階建ての家を探検しに行く。その家は10階ごとに違う動物が住んでいる。
すごいのはこの設定がすべて絵になっていること。

絵本やから当たり前?と思うならこの絵本を開いてしっかりと見てみればいい。
100階の部屋が全て書いてあり、全ての部屋の中で何かが起こっている。
ご丁寧なことに、次の回に上がる階段も一段一段全て書いてある。

見開きに10階分×10ページ。文字は見開きごとに10行ずつだけ。
大人のペースで文字を音読していくと、どんだけゆっくり読んでも1見開き30秒で通過する。
しかし、次女は違う。ハマった当時3歳の次女は字が読めない。絵を見ている。

次女は100階建ての家を本当に探検する。
人差し指と中指の2本で、丁寧に描かれている階段を一段づつ登るのだ。
そして1階ごとに部屋の中で起こっていることをじくり観察する。

そうして確認していくと、どんだけ早く観察しても1見開きに2分はかかる。
1見開き2分でも10見開きだと20分だ。寝かしつけのベッドに、娘がこの絵本をもってきたときは地獄だった。
そして続編が出た。『ちか100だてのいえ』。女の子が地下100階建ての家を探検する絵本だ。

次女は読み聞かせにシリーズ2冊を持ってくるようになった。
100階登って、100階降る。最盛期は40分、次女の探検に付き合った。1冊だった頃が天国に感じるくらいの地獄。
そして、さらに続編が出た。心からやめてくれ!と思った。

僕が生まれて初めて出すのをやめてくれ!と思った絵本のタイトルは『うみの100かいだてのいえ』。
60分コースを覚悟した。でも、その覚悟は必要なかった。
3作目がでたとき、次女は小学1年生にあがっていた。買ってもらった3冊を次女は1人で楽しむようになっていたのだ。

こうして、パパの読み聞かせはフェードアウトした。
数年ぶりに次女から読んでと言われた本。読み聞かせをするわけじゃない。
だけれども同じ物語を一緒に楽しむという意味では読み聞かせとおんなじだ。

魔法少女もののラノベ…しかも結構分厚い全3巻…うーむ…
いっちょう読んで、次女の世界に入ってみましょう。
読み聞かせのはるか延長に、こんな子どもとの関わり方があるとは。

自分の子育てを後悔するなら、自分の育ちを肯定しよう

「30年前に聞いときたかったわ」
祖父母講座の参加者からよく聞く言葉だ。
孫との遊び方や遊びのメリットをお伝えする講座を受講してくださった祖父母世代の方々。

必ず我が子の子育ての時に知っていればとの、後悔半分みたいな感想をくださる。
「聞いといたらもっとええ子育てができたのに」
ご心配なく、とお答えする。皆さんの子育ては決して失敗ではありません。

今皆さんに孫がいらっしゃるということが、皆さんの子育てが成功した証明です。
子どもはいなくても社会に様々な形で貢献している大人はたくさんいて、それを否定するわけではありません。
だけれども、新時代の子どもを育むということも大人の役割の一つです。

我が子がそれをしているということは、我が子が大人になったことの証明の一つ。
子どもを大人にすることが子育ての目的なら、皆さんの子育ては成功している。
だから自身の子育てを後悔はしていただきたくないんです。

そもそも子育てに成功だの失敗だのという言葉を使うこと自体が僕は嫌です。
でもあまりにも自分の子育てを後悔される方が多いので、あえてここに書いておきます。
みなさんそこそこ子育てをして、そこそこ成功されました。

僕も皆さんも理想的な子育てなんてされてきていません。
時には親からひどいことを言われたりされたりしたかもしれない。
ここには書きませんが、僕自身もそんなネタはいっぱいあります。

それでも今、それを話のネタにできるくらい、自分の中に取り込んで大人に成長しました。
つまり、自分の親の子育ては成功してるんです。
だからといって虐待を肯定しているわけではありませんよ。それを避けるために色々な支援や施設や子育て講座がある。

時には間違ったことをしてしまうかもしれない。
だけれども子育ての目的は子どもを大人にすること。そして大人になったら大人自身の責任です。
自分で責任を取れる大人を増やすために、僕は家事育児や子育て講座をしています。