あぜ道のパパスイッチ

エコーの次のパパスイッチは、妻が産休に入ってからのこと。

身体がなまるということで、2人で散歩をした。

当時住んでいたところは山裾。周りには田んぼがたくさんあった。

9月の田んぼの青々とした稲稲の中、2人であぜ道を歩いた。

隣を歩く妻の大きなお腹を見ながら、責任感を強くしたすごくいい想い出。

10年後、家族でその想い出を話していたとき、妻は言った。

「あれ、しんどくて嫌やってん」

え?一緒に歩こて言うたやんか。

「ちゃう。あんたが無理に誘ってんで。私、身体がしんどくて嫌やったのに」

記憶の相違。

げに難しきは夫婦のコミュニケーション。

最初のパパスイッチはクリリンだった

パパスイッチが入った瞬間というインタビューを受けた。

子育てをしている間にはいくつもの瞬間があって、一つには絞れない。

だけれど最初のパパスイッチが入った瞬間はっきりと覚えている。

妻と一緒に何度目かの受診に行ったときに見たエコー写真だ。

 

その写真には小さく小さく赤ちゃんが写っていた。

丸い頭とゼリービーンズのような身体。

ちょうど初期のクリリンの頭のテカりの形をした可愛らしい赤ちゃん。

それが和田パパの最初のスイッチだった。

つづく

立会い(?)出産の想い出

パパの立会い出産はこの15年で急激に増えたと感じる。立会い出産を経験したパパ友は多くて、その想い出を聞く機会はよくある。
それは武勇伝であったり、逆に醜態であったりするのだけど、その口調はうらやましい。なぜなら僕には立会い出産の想い出はなく、立会いできなかった想い出があるからだ。

折良く一緒に病院に行けるタイミングにで妻に陣痛が来た。出産に立ち会える!と喜び勇んで駆け込んだ病院、しかし待てども待てども出産は進行しない。
そのうちに妻の血圧が200を超えてしまい、これ以上頑張るのは危険になった。その瞬間、妻は大勢の看護師と医者に囲まれて、うわーっと手術室に連れて行かれた。

ボツンと取り残された僕。数時間後、待合室で座っていた僕は看護師に抱かれた長女と初対面した。
「小さい!」
新米パパがはじめての赤ちゃんを見た一言目。立会いできなかった想い出。だけどはっきりと覚えている想い出だ。

一人目が帝王切開だと、二人目も自然分娩はリスクが高いらしい。次女は最初から帝王切開を選択した。
4歳違いでうまれた妹を見た長女の一言目も
「ちっちゃ!」
だった。

娘とバレンタイン

10年前のバレンタイン、当時4歳の長女と初めて手作りチョコを作った。
チョコを溶かして型に入れるだけの簡単なもの。
長女が4年生、次女が年長になるまで、パパと姉妹の手作りチョコ作りは続いた。

長女が5年生のバレンタイン、長女が溶かしたチョコだけじゃなくて焼き菓子的なものを作りたいと言った。
パパとしては頑張って調べて一緒に作るつもりだった。
しかし、長女に断られた。「ママと作るからいい」
パパと娘のチョコ作りは6年で終わった。

それから5年後、今年のバレンタイン、受験生の長女はチョコもお菓子も作っていない。
5年生になった次女はママと嬉しそうにクッキー的なものを作っている。
娘のパパさん、娘とチョコを作りたいなら小さい内に。いくら頑張ってもパパの出番はなくなりますから。

バレンタインは女子のイベント。
お菓子を作るという作業だけじゃなくて、もっとエモーショナルなものが女子の間にはあるらしい。
そこに男が入る余地はない。

雪をかき集める楽しみ

2年前のこの時期、雪がうっすら2センチ積もった。

その日、周辺の雪をベニア板で集めた。

近所のパパと小学生と幼児10人がかりで、家の前の庭はもちろん周辺の生活道路からかき集めた。小さいカマクラができた。

今回は残念ながら積もらなかったけれど「まえ、ゆきあつめたなあ」と覚えている近所の子。

雪が多ければ多いなりの、少なければ少ないなりの楽しみがある。